萬満寺 Manman-ji(Temple)

重要文化財「木造金剛力士像」を使った『仁王の股くぐり』が有名
"Passing between Nio's legs" is famous
2017年8月20日公開 

萬満寺

概要・About

鎌倉時代、建長8年(1256)に小金城主であった千葉介頼胤が、鎌倉の極楽寺の良観房忍性(にんしょう)を招いて堂宇を修め、真言宗の大日寺を開いたのが始まりといわれています。
現在の臨済宗の萬満寺となったのは、満胤の時代の康暦3年(1379)といわれ、満胤は鎌倉の瑞泉寺にいた夢窓国師の高弟 古天周誓(こてんしゅうせい)和尚を招いて中興開山し、関東管領足利氏満の満の字をとって萬満寺と号したといわれています。
江戸時代には、歴代将軍より七十石の寺領を受ける朱印寺として栄えますが、明治の廃仏毀釈や明治41年(1908)の汽車煙火による大火で伽藍や仏像、数多くの寺宝を失い、また、戦後の農地解放で寺領のほとんどを失います。
しかし、昭和62年(1987)には新本堂が落慶し、諸堂も少しずつ整備されています。

萬満寺には複数の文化財があります(松戸市のページにリンクしています)。
国指定重要文化財 木造金剛力士像
市指定有形文化財
木造不動明王立像
鋳造魚藍観音立像
一月寺遺石
阿弥陀如来坐像
豊臣秀吉の制札

(松戸市教育委員会設置の案内板より)

一月寺遺石(松戸市指定文化財)

旧小金宿にあった普化宗(ふけしゅう)一月寺(いちげつじ)は、正嘉元年(1257)金先禅師によって創建されたと伝えられているお寺です。江戸時代には、青梅の鈴法寺、京都の明暗寺にならぶ普化宗の本山として隆盛をきわめていましたが、明治4年(1871)普化宗の廃止令によって廃寺となりました。
現在、萬満寺に一月寺の遺石が移管されているのは、江戸時代より萬満寺が一月寺と深く関わってきた縁によるものです。
(松戸市教育委員会設置の案内板より)

案内板の横にある石碑は一月寺のものかわかりませんが、嘉永3年(江戸時代末期)のものでしたので掲載します。
一月寺遺石
「雖為骨肉同胞 不許無案内入」
意味:骨肉の(血を分けた)同胞なりといえども、案内無く入ることを許さず

俳諧人 立砂と斗囿の墓

また、東葛地域の俳諧人として有名だった馬橋の柏日(はくじつ)庵立砂(りゅうさ)とその子、斗囿(という)のお墓があります。
立砂と斗囿の墓
立砂は、親子ほどの離れた年の差の小林一茶から「爺」と慕われ、彼のよき理解者であり、庇護者でもあったそうです。 また立砂の子斗囿も、俳諧を通じて一茶と生涯深い親交を持ちました。

作品
鍬かけて 長閑にしたる 榎かな (立砂)
山ぶきや 草にかくれて 又そよぐ (斗囿)

立砂は寛政11年(1799)、斗囿は天保4年(1833)に亡くなりました。
(墓所前の松戸史談会作成の案内板参照)

コラム・Column

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写真ギャラリー・Photo gallery

門 門 門 弘法大師記念碑 一月堂 手水鉢の像 やかんの灯籠 見ざる言わざる聞かざる 門と鳥居


基本情報・Information

【住所】
 〒271-0051 千葉県松戸市馬橋2547

【参拝時間】
 不明
【参拝料】
 自由
【電話番号】
 047-341-3009
【アクセス】
 JR常磐線・流鉄流山線 馬橋駅より 徒歩約7分
【駐車場】
 境内にあり
【年中行事】
 不明
【バリアフリー】
 境内に階段なし(本堂には階段あり)
【御朱印】
 あり

参照・Reference

松戸佛教会発行『松戸のお寺』